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超国家主義って何?テロリズムとの接近から読み解く思想と歴史

超国家主義って何?テロリズムとの接近から読み解く思想と歴史

超国家主義は、1920〜30年前後に存在した思想潮流のひとつです。

「超国家主義」この呼び方は、戦後に政治学者の丸山眞男によって命名されたもので、本人たちが「自分は超国家主義者です」と自称したわけではありません。そのため、誰を超国家主義者と定義するかは曖昧なところがあります。

1964年に発行された『現代日本思想体系 超国家主義』編では、血盟団事件を主導した井上日召や、2.26事件の精神的支柱となった北一輝、思想家の大川周明など11人が紹介されています。一方、中島岳志著『超国家主義——煩悶する青年とナショナリズム』には、宮沢賢治を含む25人の名前が収録されています。

思想背景もやってきた事もさまざま…共通点は男性であることくらい??

なんとも定義しづらい彼らですが、ここでは「思想としての超国家主義」「行動としての超国家主義」のどちらを重視したかで分類してみたいと思います。前者は北一輝や大川周明のように自らの思想を文章で表現するタイプ、そして後者は井上日召や朝日平吾のように実力行使に出るタイプです。

本当はどちらも紹介したいのですが、思想を紹介していくとキリがないため、この記事では、戦後確立した「超国家主義論」を踏まえた上で、「行動としての超国家主義」にスポットライトを当てて紹介していきます。

丸山眞男の「超国家主義」

超国家主義という言葉を世に広く知らしめたのは、20世紀を代表する政治学者・丸山眞男の論文『超国家主義の論理と真理』です。そこにはこんな記述があります。

凡そ近代国家に共通するナショナリズムと「極端なる」それとは如何に区別されるのであろうか。ひとは直ちに帝国主義乃至軍国主義的傾向を挙げるであろう。
<中略>
我が国家主義は単にそうした衝動がヨリ強度であり、発想のし方がヨリ露骨であったという以上に、その対外膨張乃至対内抑圧の精神的起動力に質的な相違が見出されることによってはじめて真にウルトラ的性格を帯びるのである。

出典:『超国家主義の論理と真理』丸山眞男

丸山は、帝国主義国家・軍事主義国家にありがちな国家主義と日本の国家主義を分けるものを、日本の国家体制に起因する日本人の精神構造にあると主張しています。丸山はこれを、「国家的なるものの内部へ、私的利害が無制限に流入する」と表現しています。ざっくりいうと、国家と自分の境目が曖昧になるイメージでしょうか。

興味のある人は『超国家主義の論理と真理』と合わせて『日本の思想』を読もう!

「じゃあ超国家主義って日本以外には無いの?」という声が聞こえてきそうですが、そういうわけでもありません。Google Scholarで「Ultra Nationalism」を調べると、約35,700件の論文がヒットしました。海外版Wikipediaでは、日本の超国家主義に加え、ナチスや20世紀初頭のフランスの右翼団体などが挙げられています。

ですが、丸山はあくまでも海外の国家主義(ナショナリズム)と日本の超国家主義を区別しています。国家主義 + 日本人の精神構造 = 超国家主義というわけですね。

橋川文三の「超国家主義」

上記の丸山の考えに異を唱えたのが、政治学者の橋川文三です。東京大学で丸山眞男に学んだ橋川は、丸山の説に意を唱えます。

丸山は、日本的支配原理そのものの質的特性を分析することによって、そのアルトラ化が独伊等のファシズムのそれと異なる論理を内在せしめていることを明らかにしている。しかし、それはいわば日本超国家主義をファシズム一般から区別する特質の分析であって、日本の超国家主義を日本の国家主義一般から区別するような視点ではないといえよう。

出典:『昭和超国家主義の諸相』橋川文三

繰り返しになりますが、丸山の主張は「国家主義 + 日本人の精神 = 超国家主義」というものでした。それに対して橋川は、超国家主義が(ドイツやイタリアとは違う)日本独特の思想であることには同意しつつ、「超国家主義の原因が日本人の精神だとしたら、日本の国家主義(ナショナリズム)と日本の超国家主義(ウルトラナショナリズム)はどう区別するの?」ということを指摘します。

橋川は、通常の国家主義と「超国家主義」を区別するものに、テロリズム要素の有無を挙げます。

少なくとも、たんにナショナリストという場合には、温厚中庸な人格者の風貌を思い浮かべてもおかしくはないが、アルトラ・ナショナリストというときには、私たちは、どこか通常でない、不自然な、異様な人物の姿を思い浮べるのが普通であろう。そして、その印象をよびおこすものが、主としてテロリズムとの関連ではないかと思われる。

出典:『昭和超国家主義の諸相』橋川文三

哲学者の久野収は、実業家・安田善次郎を暗殺した朝日平吾の遺書をひいて、国家主義と超国家主義を明確に区別しました。

朝日の遺書は、明治以来の伝統的国家主義の主柱であった元老、重臣、新旧の華族、軍閥、財閥、政党の首脳を、だれかれの別なく、悪の元兇と断じ、かたっぱしから殺してしまえと主張することによって、明治以来の伝統的国家主義からの切れ目を明らかにしている

出典:『日本の超国家主義-昭和維新の思想-』久野収

ここで久野は、超国家主義者が持つテロリズム的傾向の指摘に加えて、「元老、重臣…政党の首脳」と、超国家主義者が標的が支配階級であることを指摘しています。なぜ、支配階級が狙われたのか?次のセクションで見ていきましょう。

「君側の奸」との戦い

ここまで、国家主義者と超国家主義者の違いについて紹介しました。ですが、超国家主義者が「テロリズム的傾向」を持つとすると、一つの疑問が湧いてきます。

国家主義者って、愛国者じゃないの?どうして国家を混乱させるようなことをするの?

これに対する答えのキーワードは「君側の奸(くんそくのかん)」という言葉です。「君側」とは、君主のそばにいる人のこと、「奸」は、悪い考えやその考えを持つ人のことを意味します。

前述の朝日平吾は、この言葉を用いて以下のような遺書を遺しました。

日本臣民は朕が赤子なり、臣民中一名たりともその場に安んぜざる者あれば朕の罪なり…とは先帝陛下の仰せなり。
<中略>
されど君側の奸陛下の御徳を覆い奉り<中略>上に厚く下に薄く、貧しき者、正しき者、弱き者を脅かし窘虐(きんぎゃく)するに至る。これは歴代の内閣全て然らざるなく、元老その範を示し政界の巨星等しくこれが元凶たり。

出典:『死の叫び声』朝日平吾
※読みやすさを考慮し一部改変

いうまでもなく、日本の君主は天皇(当時は大正天皇)です。
朝日平吾は、攻撃の矛先を、敬愛する天皇の意思を無視して暴利を貪る周囲の権力者に向けました。政治学者の中島岳志氏は、これを「一君万民」イデオロギーと呼び、以下のように説明しています。

朝日は真夏の下宿に引きこもり、「死ノ叫声」と題した文章を書きあげた。
彼が抱きしめたのは「一君万民」イデオロギーだった。日本国体に準拠すれば、超越的存在である天皇の下、万民は一般化される。天皇以外に特別な人間など存在しない。階級や身分に根拠はない。国民はすべて平等であり、一律に天皇の大御心に包まれる。
しかし、現実は違う。国民の間には歴然とした貧富の差があり、財閥が幸福を独占している。
平等であるはずの国民は、なぜに不平等を強いられているのか。なぜ、自分は日本国民として幸福を享受できないのか。
それは、大御心を阻害する「君側の奸」が存在するからである。天皇と国民を切り離す政党政治家や財閥が存在するからである。

出典:『超国家主義——煩悶する青年とナショナリズム』P.135 中島岳志

一君万民は、幕末に討幕派の志士たちの間で盛んに唱えられた考えで「天皇のもとの平等」を謳ったものです。その流れを受け継ぐ明治政府は、廃藩置県や秩禄処分など、江戸時代以前の特権階級を縮小し、天皇に権威を集中させる制度改革を行ってきました。

それにもかかわらず、貧富の差は拡大し続けます。超国家主義者たちは、一君万民を邪魔する社会の元凶、つまり君側の奸は政治家や財閥といった富裕層であり、彼らを倒すべきと考えたのでした。こうしてみると、「国家主義者なのにテロ」ではなく「国家主義者だからテロ」を起こしたという彼らの理屈がわかってきます。

当時の時代背景

超国家主義者の全盛期は1920〜30年代と言いましたが、参考までに、超国家主義者が起こしたと言われる事件と当時の主なできごとを表にしてみました。いずれも、支配階級、と言われる人が犠牲になっています。

日付できごと
1918年11月第一次世界大戦終結
1920年3月大戦後の過剰生産を主原因とした戦後恐慌に突入。中小企業の倒産が相次ぐ
1918〜21年スペイン風邪が大流行。日本国内では3年間で約38万人が死亡。
1921年9月朝日平吾が実業家・安田善次郎を暗殺
1921年11月中岡艮一が内閣総理大臣・原敬を東京駅で暗殺
1923年9月1日関東大震災
1929年10月世界恐慌
翌年から日本にも影響が及び、昭和恐慌と言われる不景気に突入
1931年9月満州事変
1932年2〜3月井上日召率いる血盟団のメンバーが、元大蔵大臣・井上準之助と実業家・團 琢磨を相次いで暗殺。いわゆる血盟団事件が発生
1932年5月海軍青年将校らによるクーデター、いわゆる2.26事件が発生
犬養毅首相と警官1名を殺害
1936年2月陸軍青年将校らによるクーデター、いわゆる2.26事件が発生
高橋是清大蔵大臣、斎藤実内大臣ら政治家を含む9名を殺害
1936年7月陸軍中佐・相沢三郎が、永田鉄山軍務局長を殺害
1937年7月盧溝橋事件を機として、日中戦争が勃発

年表を見ると、なかなか困難の多い時代だったことが分かります。2.26事件に関与した軍人の1人は、事件を起こした背景のひとつに地方の困窮を挙げています。震災後や不景気など、先を見通せない空気感が、彼らを過激な行動に走らせた、そういう側面は間違いなくあったでしょう。

もちろん、いわゆる超国家主義者と呼ばれる人々の背景・思想はさまざまで、みんながみんなテロリズムに走ったわけではありません。ただ、あえて彼らの思想に共通点を見つけるとするならば、当時の日本への強い不満と危機感、このままじゃダメだという思いではないでしょうか。

まとめ

この記事では、「行動としての超国家主義者」について、戦後の超国家主義論をもとに書いてきました。本記事では、橋川文三の論を参考に、テロリズムに焦点を当てた説明を試みましたが、これは超国家主義の1部に過ぎず、橋川本人も言っているように、「テロリズムを手がかりとしたケース・スタディ」に過ぎません。それでも、彼らを凶行に走らせた当時の時代背景が伝われば幸いです。

ジブリ映画「風立ちぬ」はちょうどそのあたりの時代を舞台にしています。主人公の堀越二郎は5.15や2.26を起こした青年将校たちと同世代ですね。

また、こうしたテロリズムを助長させた当時の世論や為政者の責任というのも考えなければいけません。朝日平吾が安田善次郎を暗殺したとき、世間の人々からは「よくやった」という声が聞かれました。当時の庶民たちが持っていた不満や不公平感を晴らしてくれた存在として、彼らは朝日に同情・称賛したのでした。そのわずか2ヶ月後、この事件に影響を受けた中岡艮一が内閣総理大臣・原敬を東京駅で暗殺します。

5.15事件の時も、世論は同情的でした。軍隊内での裁判にあたる軍法会議の傍聴記録には、記者だけでなく、採決に関わる人々までもが彼らに同情しています。この結果、彼らは厳刑を回避し、その多くは戦後まで存えました。そしてその4年後、9名が殺害される2.26事件が起きます。彼/彼らにも同情の余地はある。そんな「テロリズムの肯定」が何を招くのか、私たちはいま一度考える必要がありそうです。

参考文献

『アジア主義-西郷隆盛から石原莞爾へ-』アジアの盟主・日本の功罪 思想家・岡倉天心は「Asia in One(アジアはひとつ)」といって、アジアに住まう人々に共通する思想「不二一元」を指摘し、アジ...